今年の暑さに耐えきれず,結構冷房を入れていたので電気代が怖かったのですが,思ったよりも高くなく安堵しました。九電さん原発さんありがとうございます。
さて今回は,昨日の塾で話題となった軍部大臣現役武官制。明治33年,第二次山形有朋内閣で決定された制度です。海軍大臣・陸軍大臣になる人は現役の大将・中将に限定する制度であり,軍に一般人がごちゃごちゃ言うなってな感じです。
明治33年といえば,西暦でいうところの1900年。義和団事件があった年ですね。日清戦争に勝利したものの,次はロシアと戦争かといったようなピリピリした状態だったのでしょう。1902年が日英同盟,1904年が日露戦争となっていきます。
この軍部大臣現役武官制は1913年第一次山本権兵衛内閣のときにゆるくなります。「現役」の名前が取れて軍部大臣武官制となります。予備役(半分軍人半分一般人みたいなイメージです)や引退した軍人さんでもOKよとなりました。しかし,実際には軍部大臣は現役の方がなったみたいですね。OBさんもわざわざ現役に復帰して大臣になったのだとか。
そして,軍部大臣現役武官制が名目上復活するのが,あの二・二六事件のあとです。中学校の歴史の教科書によく二・二六事件のあとに軍部の発言力が強くなったと書かれていますが,実はこれのことなのです。
どういうことかというと,軍部大臣は現役軍人からでしか出してはいけないので,内閣をいざ組閣しようというときに,軍にとってその内閣が気に入らなければ大臣を出さないということが可能となったのです。その被害にあったかわいそうな人が宇垣一成ですね。いろいろもめて結局陸軍大臣が空位となり内閣組閣を断念しなければなりませんでした。
これがきっかけかどうかはわかりませんが,その後とくに陸軍ですが,この軍部大臣現役武官制を駆け引きの道具に使います。陸軍大臣を出そうとしなかったり,陸軍大臣を辞任して内閣に揺さぶりをかけたり。これが教科書に書いてあるところの軍部の暴走とかいうやつです。
ちなみに軍部とか教科書によく書いてありますが軍部って何ですかね?この頃の陸軍と海軍は予算の取り合いで仲が悪く,両方の幹部が初めて会うのが東京裁判の法廷っていうなんともお粗末な話があります。これじゃ戦争勝てないですよね。
また満州事変から終戦まで総理大臣何人やったかご存じでしょうか。なんと13人で15内閣)です。まじめに戦争する気ないやろって感じです。そりゃ負けますって。
現在は文民統制といって,自衛隊のトップは民間人である内閣総理大臣が務めています。軍のトップは軍人がいいのか民間人がいいのか。おそらくその時その時の世界情勢によって異なるのでしょうね。
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