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智水社

理想と現実のギャップを作り出している「夢」

 長かった夏休みもあと一週間。夏休み明けには実力テスト。昔にはなかったテストですが,夏休みの宿題をちゃんとしたかの確認のためでしょうね。あんだけ自己探求がどうのとか自発的な学びをとか言いながら,結局は学校の宿題でがんじがらめにするのは矛盾しているのではと思いますが。長期休みにときこそ自己探求や自発的な学びができるでしょうに。

 

さて今回は,おととい昨日と話を続けている「夢」についてのお話。今までのお話をまとめると,学校は「夢」を持つことを強制し,その「夢」なるものとは何かに【なる】ことであり,【なってから】のことにはほとんど言及しない,といったことをお話しました。今回は,その「夢」なるものを強制されるとどうなるかというお話。


 以前にもお話した通り,残念ながら学校の先生のほとんどは小学生が知っているぐらいの職業しか知りません。まあ社会経験が全くない方がほとんどなので仕方ない所もあると思いますが。


 その学校で紹介された職業以外で働く方がはるかに多いのにもかかわらず,世の中のほんの一部の職業の中から「夢」を持てと強制されるのです。当然,そのほんの一部の職業に興味がある生徒の方が少なく,それで何かに【なる】という「夢」を持てと言われてもって戸惑うわけです。


 しかし,学校側は夢を持たないことが悪いことだと教育します(実際,ある学校の校長先生が学校新聞で,学校でこうやって夢を持つことを推奨しているし,いろんな職業の人をお招きしてお話していただいているのになぜ「夢」を持たないのかとかなり強い口調で書いていました)し,何かとつけみんなの前で発表させたがるので,その生徒にとってあまり興味がないものでも無理やり「夢」として持たされることとなり,しかもそれを人前で発表しているので,引くに引けない状況になったり,周り(親や先生)からの圧もあったりして,そこまでなりたいわけでもない「夢」を持たされることになります。無数にある選択肢をほんのわずか(10~20ぐらいでしょうか)に絞られる人生を歩まされる羽目になるかもしれないのです。


 また,最近の学校はやたらと学校外からいろんな職業従事者を招いて,その職業の話をさせたがります。その職業というのもこれまた先ほどお話したうような小学生でも知っているような職業の方々です。もちろんその方々のお話によってはその職業に就きたいと思う生徒もいるのでしょう。


 しかし,そのお招きされた方々が自分の職業をお話されるときには自分の職業を悪くは言わないですよね。その職業の魅力を余すことなくお話されると思うのですよね。そうすればどうなるか。そのお話に興味を持ち始めたり,元々その職業に憧れる生徒からすればその憧れがバンバン増すわけですよね。


 でも社会人ならお分かりいただけるでしょうが,仕事というのは学生が考えそうな理想的なものではないですよね。もちろんやりたい仕事や理想的な仕事もできますが,ほとんどがそうでないことが多く,しかも駆け出しのときには雑務やあまり好まないものからのスタートなので,ここで理想と現実のギャップが生まれるわけです。


 何も知らなかったらそんなものかと済まされていたのものが,職に就く前に知らなくてもいい理想を膨らまされるために起きるギャップなのです。ですから,若い人が職に就いてアッサリ心が折れるというのもそれが原因かもしれません。


 こういった具合に「夢」を持つことの強制って大人の自己満であり,生徒たちにとっては百害あって一利なしなのかもと思っています。急がば回れ,急いては事を仕損じる。こういった言葉が今でも残っているのは事の本質だからなのでしょうね。


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