高校野球の代表も続々と決まり,夏の甲子園に向けていろいろと盛り上がってきました。長崎県は春の選抜大会で海星と日大の2校出場でしたが,夏は創成館でした。やはり春と夏の連続出場は難しいんですね。
さて今回は,日露戦争で活躍した日本が誇るスパイ明石元二郎のお話。
何のこと?と思われるかもしれませんが,実はこの明石がいなかったら日露戦争ヤバかったんです。ロシアに大勝した日本海大戦の前に,陸戦で負けてた可能性が高かったんです。
明石元二郎とは,福岡藩士のもとに生まれ,明治になると陸軍士官学校に入学します。その後いろいろあって,ロシア帝国公使館付陸軍武官になります。そこでロシアに関する情報を収集し,日英同盟から日露戦争時にかけてロシアでスパイ活動を行います。
その活動とは,ロシア軍の動向や旅順要塞の図面入手など,日本とイギリスに情報を提供しました。そしていざ日露戦争に突入すると明石はロシア国内で革命を誘導します。その誘導に乗ったのが実はレーニンだったのです。
日本は陸戦で大国ロシアに苦戦します。そこで明石の工作が功を奏します。前にもお話しましたがロシアは伝統的に二正面作戦ができない国で,ロシアの東でドンパチしてたなら明石はロシアの西にある首都のサンクトペテルブルグやモスクワで革命を煽り,ロシア第一革命とも言われるあの血の日曜日事件を引き起こすきっかけを作ります。
この血の日曜日事件を鎮圧するために,ロシア陸軍は東の日露戦争に動員していた兵を西に向かわせます。この明石のスパイ活動によって帝国陸軍はひとまず難を逃れます。
実はこのときの帝国陸軍はほぼ弾薬が尽きていたのです。このことがポーツマス条約で賠償金が取れなかったことの遠因になるのですが。
ロシアはいったんひいて血の日曜日事件が収まったら当時最強と言われたバルチック艦隊で日本に攻撃する算段だったのですが,ご存じのように東郷平八郎率いる帝国海軍にコテンパンにやられることになります。
このように,日露戦争勝利のかげに明石元二郎ありだったんですね。ヨーロッパではかなりの有名人らしいのですが,日本では教科書ですら載っていません。こういった日本に貢献した人をもっと丁重に扱うべきだとおもうのですがね。
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