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智水社

実は裏でいろいろあった大政奉還

 昨日のオークスはすごかったですね。お嬢さんはとても速くて強かったです。来週はとうとうダービー。強いお坊ちゃんがいますが,果たしてどうなるんでしょうか。ちなみにオイは多分勝つのではと思っています。 



 さて今回は,昨日の塾で話題となった大政奉還,いわゆる徳川慶喜が京都の二条城にて政権を朝廷に返上した出来事です。


 コロナ前の高校の修学旅行って結構京都に行ってて,観光場所に二条城があったので,みんなで大政奉還ごっこしたらと毎年いろんな生徒に勧めたのですが全員から却下されました(笑)


 徳川慶喜という人物はかなりの切れ者でありある意味での卑怯者なので,約700年続いた武家政治による最後の将軍にふさわしい人物だったかもしれません。将軍就任の際にも策略かましてますし,戦争中の部下を平気で見捨てて大阪から江戸に帰ったりしてます。


 そして大政奉還。まあいろいろあってこれに行きつくわけですが,実は大政奉還と同じ日の慶応3年10月14日「討幕の密勅」というのが発令予定でした。勅というのは天皇のお言葉という意味なので,簡単に言えば天皇が討幕してよって仰っているという意味になります。


 当時の天皇は即位直後の後の明治天皇。まだ15歳ぐらいの若者です。岩倉具視などが若い明治天皇をたぶらかして出させたという説もあります。実際の経緯はよくわかりませんが,徳川慶喜にしたらこんなの出されたら殺されるわけです。


 ですから慌てて政権を返上したという理由もあるのです。政権返上しても徳川慶喜にしたら損やんと思われるかもしれませんが,徳川慶喜はどうせ薩摩や長州やそれに与する岩倉具視をはじめとする公家たちは自分を頼ってくるだろうと踏んでいたわけです。しかし結果その思惑ははずれてそのまま王政復古の大号令となるのですが・・・


 あまり知られていませんが,徳川慶喜って将軍在位中一度も江戸にいたことがないんですよね。約700年の長い歴史の中で幕府の本拠地に在位中一度もいなかった将軍は2人。徳川慶喜と足利義栄の2人です。どちらも幕末の騒乱の中での将軍就任でした。


 徳川慶喜。波乱万丈の将軍でしたが,明治になってからは静岡に移住し周りからけいきさん(慶喜の音読み)と親しみを持って呼ばれ,余生を趣味やなんかで静かに過ごしたそうですね。


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