今日でもう6月も最後。とうとう試練の7月8月に突入します。どうか今年も夏が乗り切れますように。それと最近,この拙い日記をご覧いただいている奇特な方がいらっしゃるようで,ほんと感謝でいっぱいです。ありがとうございます。
さて今回は,井原西鶴のお話。昨日の塾で青雲の定期考査の日本史の問題で話題になったので取り上げました。
井原西鶴と言えば元々は俳諧師。大阪の生國魂神社で「万句俳諧」というたくさんの俳句を次々に披露する会を催し,そのたくさんの俳句を記した『生玉万句』ってのを出版,その後も一昼夜で1600句や4000句も披露する「大矢数」という興行もしました。
西鶴は今でいうところのピン芸人の元祖みたいな人だったんですね。ですから今でも上方落語や上方芸人などからは崇拝される存在みたいです。
その後,西鶴は執筆に活動を移します。有名な『好色一代男』に始まる浮世草子などですね。また日本最初の経済小説ともいわれる『日本永代蔵』や,ある町人の大みそかの一日を記した『世間胸算用』など,その才能は多岐に渡りました。
西鶴は明治になると忘れられた存在となったみたいですが,幸田露伴,尾崎紅葉,樋口一葉が影響を受けそれにより西鶴が再評価されたみたいです。
んで,題名の件ですが,森銑三という歴史学者が西鶴の作品を詳らかに調べることによって,実は西鶴が実際に執筆したの『好色一代男』のみで,その他の作品は西鶴の弟子である北条団水の執筆であって,西鶴は関与しただけみたいな研究を発表したみたいです。
何でも,『好色一代男』だけが西鶴の書き方のクセが出ていて,他の作品の書き方は北条団水の書き方のクセがあるということらしいのですが,真偽は不明だということです。
大阪では今でも愛されている井原西鶴。俳諧師であり芸人であり作家でありと多才で人情味あふれた井原西鶴。名前のように実に才覚があったのでしょうね♪
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