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智水社

不登校って教育の多様性?

 昨日の運動会の観戦後の夜,腕が真っ赤になっていました。自慢の美白の肌が台無しです。


 さて今回は,ラジオをつけていたらたまたま流れていたお話。ある教育評論家が言っていたことなんですが,何でも不登校というのは教育の多様性であるのだとか。また,不登校という言葉は相応しくないから別の言葉を用意しましたとか言っていました。その別の言葉というのはあまりにも長いので忘れましたが。


 なんか最近,多様性って言葉が独り歩きしているようでならないのですが。また,多様性とか言いながら自分たちの都合を通そうとしているようにも思えてしょうがないのですが。

 

 不登校といっても不登校になった理由は人それぞれでそれを教育の多様性とひとまとめにするのもどうかと思います。教育評論家というのは個性が大事とか言いながら平気で個性を無視した発言が多いような気がします。あくまで個人の感想ですが。


 それと教育の多様性って何ですかね。それ言い出したら学校も通わんでいいってことでしょうか。ということならば,学校の存在意義も否定ということでしょうか。自分としては江戸時代の寺子屋や藩校や私塾などの教育に賛成の立場なのでそれはそれでいいのですが,しかしそれは非現実的な話なので,今の学校教育でやっていくしかありません。


 なのに,この教育評論家はそれをぶち壊そうとしているように思えてならないのですが。評論家によくある,ほらこれがボクの素晴らしい理想だよ。素晴らしいでしょ。現実的には無理だけどね。でもこの素晴らしい理想をボク以外の誰かが実行してほしいな。ぐちゃぐちゃになってもボクは責任取らないけどね。っていうヤツでしょうか。


 しかし,なんとかママみたいな全然教育のことがわかっていない理想論者をマスコミはもてはやし,この人たちが主張するのが素晴らしい教育だと流布してきましたが,その結果どうなりました? 学校のいろんな問題がいっそう増え,学力自体もどんどん落ちてきましたよね。しかし,この人たちはいっさいの責任を取らず,悠々自適の生活を送っています。


 日々頑張って生徒のために身を粉にして働く先生たちも実際にいらっしゃいます。その先生たちの苦労もわからずまたわかろうともせずに,自分の理想だけを押し付けている人たちが,実は一番日本の教育を貶めているようでなりません。

 

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