下関条約からみる陸奥宗光の外交能力
- 智水社
- 2023年7月26日
- 読了時間: 2分
最近骨盤矯正運動をやり始めたのですが5分ぐらいの運動でヒーヒー言いながら汗かいてます。でも今はそんな運動の動画が気軽に見れるので助かってます。
さて今回は,またまた下関条約のお話。今回で3日連続の下関条約なので下関条約トリロジーですね。あっトリロジーって三部作って意味らしいのですが,なんかカッコいいので使ってみました。
んでトリロジー最後は陸奥宗光のお話。1回目のお話で日清戦争を使って領事裁判権の撤廃を成功させたということを紹介しましたが,今回は前回の三国干渉における外交能力です。
日清戦争の戦争目的には当初遼東半島は入っていませんでした。当時の日本政府からすれば遼東半島ってどうでもよかったのです。しかし,陸奥は遼東半島を欲しがりました。いや,欲しがるふりをしました。
遼東半島を日本が欲しがることにより,ロシアが干渉すると予想(実際の黒幕はドイツ)してまいた。そこで日本政府は別に欲しくもない遼東半島を断腸の思いで諦めるふりをして,その代わりに清におかわりの賠償金を請求しました。
つまり,陸奥は最初からそれが狙いだったのです。このおかわりの賠償金によって日本は八幡製鉄所を建てることができました。
日清前後によるこの陸奥の外交により,日本は大国への道を突き進み,十年後の日露戦争の勝利によって自他共に認める大国となったのです。
それと余談ですが,陸奥宗光といえば奥さんの亮子夫人が「鹿鳴館の華」と呼ばれるくらいベッピンさんで,また若いころは勝海舟が建てた神戸海軍操練所時代に坂本龍馬とお友達になり,龍馬のお気に入りだったというエピソードもありますね。これは幕末のドラマではよく出てくるシーンでもあります。
こんなすごい政治家が今の日本に本当に必要だと思うのですが,お隣の国々のご機嫌伺いしまくりの人しかいないような気もします。
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