昨日の夜は『QED』と『ないない堂』の新刊を堪能しました。やはり面白かったです。もう次が楽しみでなりません。
さて今回は,昨日の塾で話題となったフランスのお話。おしゃれなイメージがあるフランスですが,実はかなりしたたかな国だという話をしてました。
話題の発端は普仏戦争でのドイツの振る舞い。勝ったプロイセンの宰相ビスマルクはプロイセンをドイツ帝国にさせた名宰相ですが,このときのビスマルクはやりすぎました。
ドイツ帝国樹立の際,ドイツ皇帝の戴冠式をこともあろうにフランスのベルサイユ宮殿でやってしまったのです。フランスからすれば屈辱以外のなにものでもありません。
この屈辱をフランスは約50年後に何倍にもやり返します。それが第一次世界大戦のベルサイユ条約です。
やられた場所でやり返す。しかも何倍にも。
フランスはドイツに何年もかかっても返せないような賠償金をふっかけます。そのせいでドイツはお金をたくさん刷る必要が出てきてとんでもないインフレとなり社会が混乱してナチスを誕生させるきっかけとなりました。
同じようなことを以前にもフランスはやっています。それがパリ条約です。
アメリカやカナダでの開拓時にフランスはイギリスとやりあって(ヨーロッパ本土でも)いました。んで,いろいろとやりあった結果フランスが負けて,その講和条約がパリ条約です。
これでヨーロッパでの七年戦争とアメリカでのフレンチ・インディアン戦争にケリがつきました。フランスからすればヨーロッパとアメリカの両方で権威をなくす,これまた屈辱的な内容です。
しかし,フランスはまたまたやり返します。その後アメリカがイギリスから独立するためにフランスを頼り見事アメリカ独立戦争でイギリスに勝利します。フランスからすればイギリスに仕返しする絶好のチャンスです。
以前のパリ条約から20年後,アメリカ独立戦争の講和条約は同じパリで開かれます。そう,パリ条約です。
世界史を勉強する高校生からすれば同じパリ条約なので面倒くさいかもしれませんが,フランスの仕返しだと知っていれば楽勝です。また,このアメリカ独立戦争の勝利の記念としてフランスがアメリカにプレゼントしたのが自由の女神ですね。
フランスのしたたかさは他にもあります。ナポレオン戦争に負けたときの講和会議であるウィーン会議。
その会議を仕切っていたのは負けた側のフランスの名宰相であるタレーラン。負けたのに会議を仕切る。この外交能力は現在多くの世界の政治家がもっとも尊敬する政治家の一人であるゆえんです。
それと忘れてはならないのがド・ゴール。第二次世界大戦でドイツにボコボコにされたのに,ノルマンディー上陸作戦では先頭で行進し,いつの間にか戦勝国となっている外交能力の高さ。
フランスって世界史上,戦争はそこまで強くないのですが,その後の強さがハンパないんです。戦争に一回ぐらい負けただけでずっとシュンっとなっているどっかの島国にもぜひ見習っていただきたいものです。
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