今日は暑いです。ヤバいです。こんな暑い日が2か月余り続くかと思うとげんなりします。若い時は夏になるとヒャッホー!となっていましたが,年取るとつらいだけですね。しかも電気代も高くなりますし。
さて今回は,日本史上もっとも評価が分かれるであろううちの1人である井伊直弼。教科書での評価はよくなく肖像画も悪意あるようなものを載せてますよね。また学校のほとんどの社会の先生方の評価も悪いので,日本人のほとんどの方の評価も悪いのかなと思います。
しかし,歴史をちゃんと勉強し,当時の社会情勢を鑑みるとそんなに悪者でもない,いやむしろ井伊直弼こそが日本を救ったのではと思えますし,井伊直弼を評価している人はだいたいそんな方々のような気がします。
また井伊直弼って日米修好通商条約を調印し日本を開国に導いた張本人なので開国派と思われていそうですが,意外にも井伊直弼って実はバリバリの尊王攘夷派だったのではと言われています。
まず井伊家といのが井伊直正が徳川家康の四天王の1人と呼ばれていたことから徳川家には仕えていますし,日米修好通商条約の調印を孝明天皇には内緒でやったことにより,何かあったときにはその責任を孝明天皇ではなく自分に持っていくようにわざとしたといったことからもうかがえます。
そうなんです!井伊直弼は実は自分の命を賭けて日米修好通商条約に調印したんですよ。これやったら確実に自分が殺されるとわかっていて。
ですから井伊直弼を批判できる人って最低でも自分の命を賭けて何かをやれた人でなきゃとも思います。
題名に書いた意味深な言葉「ちゃかぽん」。
これって井伊直弼のあだ名みたいなもので,「ちゃ」とはお茶すなわち茶道,「か」とは歌すなわち和歌,「ぽん」とは鼓の音すなわち音楽にすごく通じた人だったんですよね。
しかも勉強もできて武芸にも秀でていたというツワモノなんです。「ひこにゃん」のモデルの1人になるのも納得ですね。
井伊直弼って井伊家の十四男だったので,ずっと趣味や勉強や武芸に励む時間がかなりあったということなんですが,井伊直弼がスゴいのは,たとえ十四男といえども自分に彦根藩主のお鉢が回ってくるかもしれないので,その準備をずっとしていたらしいのです。
最後は桜田門外の変で散ってしまった井伊直弼。その異変はその朝に気づいていたらしいのですがそれを甘んじて受けました。その時の覚悟たるや,普通の人が人生の中でまず味わうことのない感覚だったのでしょうね。
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